この記事は第三回「過去を訪ねて」その①の続編です。
まだ見られてない方はそちらから先に読むことをオススメします。

前回のあらすじ
東畑鳥谷線の遺構を訪ね、けいはんなプラザから歩き続けて東畑口停留所跡までやってきました。現在も精華くるりんバスの東畑口停留所として現役ではありますが、次の東畑小学校停留所(精華くるりんバスに移行後「東畑」に変更)でコミュニティバスは折り返してしまいます。時間的な制約と地理的な状況を考えつつ、先へと進むことにしました。

今回はこの地域のバス事情についての軽い解説のようなものです。
ほんとは最初にやるべきだった気がしなくもないという感じですが、まあ目を通して頂ければ。
おかしなところとか、新たな情報があればぜひぜひ教えて頂ければと思います。

さて、この東畑鳥谷線ですが、奈良交通・エヌシーバスによる運行が終了したのは2006年4月1日。
丁度この時期にこの地域ではある変化が起こりました。それは、近鉄けいはんな線の開通
どういうことなのか、図を交えながら解説していきましょう。

奈良県の最北部である北生駒一帯や登美ヶ丘周辺はニュータウンとして人口が増えていましたが、その割に鉄道過疎地帯でした。そのため、祝園・高の原・学園前・東生駒へ行くためにはバスを用いる必要がありました。そのような状況だったこともあり、この地区の路線は、まさに奈良交通の屋台骨でした。


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しかしながら、今までバスで上の4つの駅へと向かっていた人たちの住居の近くにけいはんな線が開通したことにより、大阪方面へ通勤通学する際に学園前や東生駒へとバスで向かう必要が無くなりました。そのため、既存の系統の行先を新駅へと変更、もしくは新駅を経由地に設定するなど、奈良交通はこの地域の路線再編を行いました

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そして、この新線開業が奈良交通の県下全域のバス路線の再編のきっかけとなった事も忘れてはいけません。今まではこの地区の収入で過疎路線の路線維持を行っていた状態でしたが、けいはんな線の開通によって減収となったため維持しきれず、開業から半年までの間に過疎路線は大幅に廃止されました。実際に、昔の路線図と今の路線図を見比べるとどんどん田舎の系統が消えていっています。
ここ参照)

今回の東畑鳥谷線は2004年に奈良交通から子会社のエヌシーバスによる運行となりました。奈良交通からエヌシーバスに移管されるのは小型バス路線か不採算路線であることが多く、この時点ですでに利用者は殆どいなかったのだろうと思われます。よって、けいはんな線の開通が直接的な廃止の要因では無い、と僕は思います。その理由がけいはんな線の開通に伴う系統再編の項目で路線廃止を発表されておらず、ダイヤ改正についてという項目で発表されていることからの推測でしか無いのですが。

まあ当時の情報があまりに少なすぎるためなぜ無くなったのか、具体的な理由については結論を下せないのですが(まあ、乗客が減ったというのが最大の理由ではあるんですけどね)、でもまあ、こうやって消えていった路線に思いを馳せるのもこれはこれで面白いものです。